ネット社会に「正義」ってあるの?
こんにちは。
何かの答えを知りたくて、ググってみたらとりあえず、検索結果が出ますよね。皆さんの日常の行動ではないでしょうか?
そこで、質問です。検索結果を「答え」と思い込んでしまうことがありますか?さらに、検索結果のトップ10の内容がだいたい似た様なものであれば、それが「正しい答え」だと見えてしまうのは仕方ない事かもしれません。
そこで、今日はこんなツイートを出しました。
ネット社会に「正義」や「正しい事」を見つけるのは時間の無駄です。なぜなら、もともとその情報やコンテンツを作っている人が「正義」はこれです、なんて言えないからです。フワーッとうかびあがってネット情報を傍観してください。自分のオブザーバー、コメンテーターになって、幸せになろう!
そもそも何故こんなことをツイートしたかと言いますと、興味深いトークを聞いたから。そして、自分が過去2−3日、テーマにしている「物差し」にしっくりきたので。
西野亮廣さんのトーク:【ラジオ】キンコン西野が数年前にキッパリと辞めたこと
このトークから私が頂いたメッセージは、「誰かを屈服させる・怒らせるような自分の意見は、例えそれが正論であるにしろ言う必要はない」ということ。つまり、自分が引ける余裕と余地を常に心の中に確保しておけば、本当にやりたい事を続けられる。
「正しい」とか「正義」について、議論が分かれてしまったら、人って2つのうちのどちらかの方向に行くと思います。こんな感じです。
リアクト(React) 🆚 リフレクト(Reflect)
リアクトの方へ向かう人は自分と異なった意見や思考を与えられると、必死で否定する人。まず、本人は気づいていないと思います。脳科学者の中野信子さんが、「正義中毒」というコンセプトをもとに科学的に解説されています。興味のある方は、彼女の視点からリアクトへ向かう理由を見つけられたらいいかもしれません。参考までに、こちらです。
私的には、リアクトの方へ向かう人は、「怖がっている人」なのでは、と思っています。何を怖がっているかっていうと、「自分の意見がまとまっていない事に気づく事。それを他人に知られてしまう事。」だと思います。自分が見えていないので、他人を攻めたり、責任転嫁に向かって行くのです。
一方で、リフレクトの方へ向かう人は、鏡に写った姿を見つめるかのように、自分の意見を傍観することができます。情報を受け入れたうえで、自分を他人であるかのように見つめ、目の前にある議論に向き合えるのです。
はい、ここでまとめです。 前提でツイートに、
フワーッとうかびあがってネット情報を傍観してください。自分のオブザーバー、コメンテーターになって、幸せになろう!
と言いましたが、この気持ちの持ち方は私にとって、インフルエンサーであるNeoSho さんから学ばせていただきました。是非, NeoSho さんのメッセージを読んでみてください。お勧めです!
それでは、幸せな1日をクリエイトしていきましょう。
GE