Soko Starobin のプロフィール
Mindfulness Running Strengths Style Thoughts
はじめまして、Sokoです。2020年は自分にとって人生の分岐点になりそうです。
Soko Starobin のプロフィール
1970年
愛知県名古屋市で生まれる。2歳の時に愛知県田原市へ引っ越す。
1983-1986年 (東部中学校)
中学校の陸上部で、800mと駅伝を中心とした生活を送る。成績は上位10位に入るように(走る合間に)勉強していた。中3の頃から家を出たかった。
1986-1991年 (豊田高専)
国立高専機構豊田高専建築科合格。中卒で一人暮らしが始まる。バンドでキーボードやボーカルをしながら5年間過ごす。成績はど真ん中。もう少し真面目に勉強すればよかった。
1992-1996年 (学士課程)
就職はしたくなかったから、とりあえず大学への編入試験を受けるが、いい加減な気持ちでだったので全て落ちた。
1992年に渡米。University of North Texasの語学学校に入って、学部に編入する。この時は真面目に勉強した。はじめの2年は親に随分と世話になった。
親の金銭的な負担を軽減しようと、学生寮の世話役をして生活費を稼ぎ、留学生スカラシップをとりまくって、学費を支払った。
留学当初、大学のカフェテリアで食べ放題の生活で、体重が激増した。反省して、ランニング再開。週末に5キロ、10キロの市民レースに出場し、それなりの結果を出す。大学のトラックで自己練中、陸上部のコーチにスカウトされる。(遠征試合の頻度が高く、成績への支障が出ることを恐れ断った)
1996-1998年 (大学院修士課程)
キャンパスライフと勉強を続けたくて、そのまま大学院へ進学する。高等教育学を専門。
修士号を習得して帰国するも、就職氷河期に突入した日本での就職先は無く、博士課程進学を決める。
1999-2004年 (大学院博士課程)
大学内で就職し、仕事と両立しながら博士課程の勉強と研究をする。2001年に学部時代から付き合っていたロシア人の彼と結婚。2004年春、博士論文の発表直前に流産していたことが判明。心臓が止まった胎児をお腹に抱えながら論文発表する。無事合格。その半年後、もう一度流産を経験する。
2004-2016年 (大学教授へ)
大学院時代の恩師にスカウトされ、研究員としてIowa State Universityに就職する。2008年、准教授のポストをもらうと同時に長女出産。この時は研究と育児に没頭する。2009年、准教授として少し慣れたところで、3度目の流産。この時は本当に辛かった。
2010年、長男出産。妊娠中9ヵ月、胎児を失うのではないと毎日が怖かった。2014年、助教授と終身教授のタイトルをもらう。学長主催の祝賀パーティーに出席したものの、疲労と睡眠不足で、嬉しいとかの感情は全くなかった。ここで、弱り切った身体を鍛え始める。ランニング再開。Plant-Based Diet を始める。5キロ、10キロレースで感覚を取り戻し、ハーフマラソンを完走する。
2015年、定期検診で乳がんの可能性がある、と告知され、乳腺腫瘤摘出術と6週間の放射線治療を受ける。心身ともに疲れる。
2016年、退職を決意。フリーランスで、高等教育学研究のコンサルティングを始める。本気でボストンマラソン出場資格に向けてのトレーニングを始める。初のフルマラソン完走。クロストレーニングとして、遠泳も始める。トライアスロンもやった。
2017年から現在 (フリーランスへ)
Wholefood Plant-Based Dietを生活スタイルに確立する。ランニングはロードレースから一旦離れて、自由にトレーニングしている。いずれは日本で隠居を考慮中。自分のコンサルティング事業を日本で起こす準備中。
先日、こんな人生を振り返って、ツイートをしました。
自分は、Gratitude Expressionist であり続けたいです。「感謝の気持ちの贈り主」と言ったところです。
家族、友人、ビジネスのお客様、色々なかたへ感謝の意を送り続けたい。🙏😌
— SokoPhD (@PhSoko) July 7, 2020
ここで、
Gratitude Expressionist の紹介
ビジネスとしての Gratitude Expressionist, LLC のミッションステートメントはこれです。
- 自分探しと自己表現のコーチング
- 感謝の意を表現し続けることで得られる自己療法を習慣化するメゾット
- 感謝の意を表現し合い、安心できる時間と空間
上記のミッションステートメントを軸にコーチングサービスを中心とした、商品を製作中です。
どうぞ、よろしくお願いします。